藤田化工の拠点、神奈川県二宮町の魅力と歴史をご紹介します!
■ 神奈川県中郡二宮町
藤田化工株式会社が拠点とする二宮町は、神奈川県西南部に位置する町で、湘南エリアの一部です。今回は、二宮町の概要と歴史(地名の由来)、相模國六社巡りについてご紹介いたします。
■ 概要
二宮町は、神奈川県中西部に位置し、相模湾に面しており人口は約25,000人の比較的小規模な町です。東側は大磯町、西側は小田原市に隣接しています。JR東日本の東海道本線が通っており、東京方面や小田原方面へのアクセスが便利です。二宮駅が町の中心的な駅です。海岸線には西湘バイパスが通っており、美しいドライブコースとなっています。緑豊かな山々と海が広がる自然環境に恵まれた地域です。
■ 観光や特産物をご紹介
神奈川県二宮町は、湘南地域に位置する町で、美しい海岸線や自然が魅力です。
・吾妻山公園(あづまやまこうえん)
吾妻山公園は、二宮町のシンボル的な公園で、標高136.2mの吾妻山の山頂からは相模湾、富士山、箱根連山などが一望できます。冬には約6万株の菜の花が咲き誇り、美しい黄色の絨毯が広がります。吾妻山公園で2月頃に開催される菜の花まつりでは、広がる菜の花畑の美しさとともに、地元の特産品やグルメを楽しむことができます。菜の花の黄色い風景は多くの写真愛好家を魅了します。
・二宮海岸
二宮海岸は、地元の人々や観光客に人気のビーチで、夏には海水浴を楽しむ人々で賑わいます。夕方には美しい夕日が見られ、カップルや写真愛好家に人気のスポットです。
・川勾神社(かわわじんじゃ)
川勾神社は、古くから二宮町を見守る神社です。地名(二宮)の由来となる神社(口述で詳細説明)で、歴史的な建造物とともに自然に囲まれた静かな雰囲気が魅力です。境内には美しい木々が生い茂り、四季折々の風景を楽しむことができます。ちなみに川勾は近くを流れる押切川が曲流していたことに由来すると言われ、「川輪」川勾になったとも言われています。
・特産物
二宮レモンは、香り高く、酸味がまろやかで、さまざまな料理やスイーツに利用されています。レモン以外にも、二宮町では多くの柑橘類が栽培されています。温州みかんやはっさく、ネーブルオレンジなど、さまざまな種類の柑橘類が楽しめます。
■ 神奈川県二宮町の歴史
二宮町の歴史は古く、縄文時代や弥生時代の遺跡が発見されています。中世は相模国の一部として発展し、江戸時代には東海道の宿場町として栄えました。
・地名の由来
この地名の由来は、町内にある川匂(かわわ)神社が関係しています。川匂神社は、相模国の二宮(にのみや)として古くから崇敬されていました。「二宮」とは、相模国の中で寒川神社に次ぐ格式を持つ神社を意味します。奈良時代や平安時代には、国の重要な神社を「一宮」「二宮」などと序列化し、それぞれの神社に特別な地位を与えていました。川匂神社が二宮として位置づけられていたことから、この神社の周辺地域は「二宮」と呼ばれるようになり、そのまま地名として定着しました。これが現在の二宮町の地名の由来です。
・古代
二宮町域に人が住み始めたのは、一色で発掘された石器から少なくとも1万数千年前と考えられていますが、昔と今では地形に大きな違いがあります。今から5~6千年前の海岸線は現在より内陸側にあり、中里・元町・梅沢などの平らな低地から貝類や魚類の化石が数多く出土しています。また、縄文時代の遺物が発見されるのは、一色や山西などの丘陵や台地です。
二宮町の周辺は地殻変動が激しい地域で、土地は隆起を繰り返し、やがて3~4世紀になると現在とほとんど同じ地形が出来上がり、集落の範囲も広がりました。古墳時代と呼ばれる3~7世紀、他の地域では多くの古墳が造られますが、二宮町にはありません。しかし、6~7世紀には丘陵の傾斜面を利用した横穴墓が盛んに造営されました。中里の諏訪脇横穴墓群からは金銅製太刀が出土しており、大和朝廷の工房と関係があったと考えられています。奈良・平安時代の遺跡からは、素焼きの土器である土師器(はじき)が多く出土します。
・中世
鎌倉幕府との関わり 川匂神社は927年完成の『延喜式』に記載されており、創建はさらに遡ると考えられます。川匂神社が「二宮」として文献に現れるのは源頼朝が征夷大将軍に任じられた1192年で、二宮河勾大明神(川匂神社)で北条政子の安産祈願が行われたと『吾妻鏡』に書かれています。鎌倉時代には二宮太郎朝忠が御家人として相模国渋見郷(霜見・塩海とも呼ばれ、現在では「塩海橋」にその地名の名残があります)の地頭を務めていたことも記録に残っています。朝忠の妻は仇討で知られる曽我兄弟の姉にあたり、知足寺で兄弟の菩提を弔ったとのことです。
・近世
「間の宿」のにぎわいと村の暮らし 1600年代初頭、江戸幕府は街道の整備を進め、東海道の川匂神社入り口付近には「江戸から十八里(約70キロ)」の一里塚が設けられました。周囲は梅沢の立場(たてば)と呼ばれ、旅籠屋や商店で賑わい、大磯宿と小田原宿の中間にある「間(あい)の宿」として旅人の休息の場となり、栄えました。江戸時代の関東の村々における支配領主の特徴は、一村が複数の領主によって支配される相給(あいきゅう)で、その領主も度々替わられました。
当地の村も、川匂村は一給村でしたが、中里村・二宮村・山西村・一色村はそのほとんどの時期が二給ないし四給の村で、領主は幕府・藩・旗本の中でいろいろと組み合わされ、村の運営は名主・組頭・百姓代を中心に行われました。江戸時代は地震や台風、日照りなどの災害が頻発し、人々は飢饉や疫病に苦しめられました。特に大きな被害をもたらしたのは1707年(宝永4年)の富士山の噴火です。中里村では砂利石が40センチほど降り積もり、田畑に多大な被害が出たと、古文書に記されています。
・明治・大正
明治時代になり、数度の行政区分の変遷を経て、1889年(明治22年)の町村制施行により、5か村は合併して吾妻村となりました。1902年(明治35年)に東海道線二宮駅が開設されると、1906年(明治39年)には二宮秦野間の馬車鉄道も開通し、二宮駅周辺は旅館や飲食店で賑わいを見せるようになりました。また、1908年(明治41年)には神奈川県農事試験場二宮園芸部(県立園芸試験場の前身)が設置されました。馬車鉄道は1913年(大正2年)に蒸気機関の湘南軽便鉄道(1918年から湘南軌道株式会社と名称変更)に替わり、秦野からはタバコ、木綿、落花生などが大量に運ばれ、二宮駅は中継地点として一層活気を帯びました。
■ 相模国府祭(さがみこうのまち)六社
毎年5月5日、相模国一之宮寒川神社・二之宮川勾神社・三之宮比々多神社・四之宮前鳥神社・平塚八幡宮・総社六所神社が集まり、国家安泰・五穀豊穣、諸産業の繁栄を祈念する相模国最大の祭典が国府祭です。神奈川県指定無形民俗文化財に指定されております。
・相模國府祭六社巡り
奈良・平安時代、都から国々に派遣された国司は任国に到着すると、先ずその国の主たる神社を巡番に参拝し、国の安寧と五穀の豊穣を祈願いたしました。当時の相模国国司に倣い、御朱印帳をゲットして巡拝いただき悠久の歴史と御神威を感じてはいかがでしょうか。
・一之宮 寒川神社(さむかわじんじゃ)
神奈川県の寒川町にある寒川神社は、相模国を始め、関八州方除総鎮護の神として古くから信仰を集め、約1500年前、雄略天皇の御代には奉幣のことが記されています。また醍醐天皇の御代に制定された延喜式では相模国唯一の名神大社に列せられ、今日では地相・家相・方位・日柄等に由来する全ての災いを祓い除く八方除の守護神として全国より広く信仰されています。
・二之宮 川勾神社(かわわじんじゃ)
神奈川県二宮町にある川匂神社は、二宮明神社とも呼ばれ、二宮全町の氏神として知られています。大和朝廷が師長国を築いた時代に、第11代垂仁天皇の勅命によって創建されたと伝えられており、相模の国が成立した後は寒川神社にその地位を譲ったと言われています。
川勾神社は、皇室や鎌倉武士団、小田原北条氏などから崇敬されており、小田原北条氏の時代には小田原城の鬼門除守護神として保護されていました。敷地は2,000坪に広がり、四方を森に囲まれた静かな環境にあり、社蔵宝物には雨乞いの網石や茅葺屋根の神門、田船、国府祭神揃山祭場古地図、初代総理大臣伊藤博文公直筆の鳥居額などがあります。
・三之宮 比々多神社(ひびたじんじゃ)
神奈川県伊勢原市にある比々多神社は、神武天皇6年、国土創造の神をお祀りして国土安泰を祈ったのが創祀とされています。第53代淳和天皇より当国総社冠大明神の神号を賜り、延喜の制では式内社に列格。源頼朝公は安産祈願に神馬を奉納、独側歴代将軍より神領の寄進がなされ、事始めの神様の信仰を集めています。
・四之宮 前鳥神社(さきとりじんじゃ)
神奈川県平塚市にある前鳥神社延喜年間に編纂された「延喜式」神名帳に搭載された延喜式内社で、1640余年の歴史を有します。ご祭神の前鳥大神は、古くより修学の神、学問の神として広く尊崇されています。また、渡来人技術者を篤く庇護し、農業、土木建設等の急速な発展をなされましたご祭神は、産業技術発展の神としても崇敬を集めています。
・八幡宮 平塚八幡宮(ひらつかはちまんぐう)
神奈川県平塚市にある平塚八幡宮は今から1600年以上前、仁徳天皇の六十八年、この地に大地震があり、それを見かねた仁徳天皇が詔をだされ、応神天皇をお祀りされたことが創祭でございます。その後、推古天皇の御代にも大地震があり鎮地大神の御宸筆を賜り、相模の鎮めとして、相模圀一圀一社の八幡宮として崇敬をあつめています。
・総 社 六所神社(ろくしょじんじゃ)
神奈川県大磯町にある六所神社は、崇神天皇の御代、櫛稲田姫命を守護神とし創建され、当時は「柳田大神」と称しました。大化改新後、国府鎮座の総社として、一之宮寒川神社から平塚八幡宮の分霊を合祀し「相模国総社六所神社」となりました。鎌倉時代には、源頼朝公による富士川の合戦の戦勝祈願を始め、奥方の北条政子の安産祈願がなされ、戦国時代には小田原北条家より六十五貫の社領が寄進されています。
■ まとめ
神奈川県中郡二宮町は、豊かな自然環境や歴史的な魅力を持つ地域です。吾妻山公園や二宮海岸といった観光スポット、美しい風景とともに育まれる特産品などが多くの人々を惹きつけます。また、二宮町の歴史は古く、縄文時代からの遺跡や江戸時代の宿場町としての繁栄など、様々な時代の姿が垣間見えます。相模国府祭六社巡りを通じて、地域の神社を巡り歴史と文化を感じることができるので是非、訪れてみてください。